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柔らかい日差しが顔に当たる心地よさを貪る。うららかな初秋の昼下がり

小平太が真下の自室からの声で目を覚ましたのは長屋の屋根でちょうどうとうと、首をこいでいる時だ。
目をこすり、顔を屋根から覗かせると真下に広がる長屋の庭にちょこんと小さな人影が困ったように自室を見ていた。


「亀子ちゃん!」
ぼさぼさの髪を巻き上げて、小平太が、おおい!と手を振ると呼ばれた少女は顔を上げ驚いたような表情を見せる、が小平太と確認するとすぐにその顔は、こんにちは、と礼儀正しい挨拶と一緒にふんわりとした柔らかい微笑へと変わる。

「何をしてらっしゃるんですか七松さん」
「昼寝してた!」
だってこんな良い天気なんだもん、と笑いながら小平太は軽やかな仕草でヒラリと屋根から下りる。
「本当。お昼寝日和ですね」
うふふ、と亀子は上品に口元を手のひらで包むようにしてころころと笑う。ふっくらした手のひらはふにふにとして亀子ちゃんの笑顔みたいにやあらかそうだなあ、と小平太は思った。

「せっかく来てくれて悪いんだけど長次は留守なんだ」
学園長のお使いで今朝、学園を出たばかりだと小平太が説明した途端に亀子の眉がしゅんと下がり、明らかに落胆したような声音で「そうですか」と呟く。
「そうなんだよ」
説明したことであらためて長次の不在を実感した小平太の声音もワントーン、下がり、亀子と数秒見つめ合いお互いの気持ちの同調に気づきそれがなんだか可笑しくてどちらともなくちいさく笑う。
「寂しいでしょう七松さん」
「亀子ちゃんこそ、せっかく来てくれたのにごめん。あとで私が長次に説教しとこう」
「まあ」
そこでまた二人して笑う、小平太の豪快な笑いと対照的に亀子の笑い方はとても上品で育ちの良さがうかがえる。
ふとまた、口元の手に視線がいく。切りそろえられた爪が綺麗に磨かれてるのが小平太の目に入った。女の子らしい手。

「あ、これ良かったら七松さん貰ってください」
そういって小脇に抱えた包みを亀子は差し出した。藍色の風呂敷に包まれたそれを小平太は遠慮なく受け取る。それが図々しく見えないのが彼の良い所だ。
その菓子折りの風呂敷は手触りがとてもすべすべしていて上等な布地、と無知な小平太でも分かる。

まるで亀子ちゃんみたいだ、と思った。敢えて口には出さなかった。

「いいの?私がもらっちゃって」
「はい、お菓子なんですけど傷みやすいものだから」
お菓子!亀子がそう言うと小平太は嬉しくて跳ねた、それを見て亀子はまた笑う。どちらが年上だかわかったものじゃないがお菓子ひとつで無邪気に笑う小平太はそれはそれは、見ていて感じ良いものだと亀子はウフフ、と笑った。












「さ、てと!」
亀子が帰った所で小平太は部屋に戻り、もらったお菓子の封を開いた。
箱の蓋に手を添える。と、ふと
自分の手はゴツゴツしていて、泥みたいなもので汚れていて、ギザギザに切った爪には土が詰まってる。
汚い。と改めて思った。

「・・・・」
手ぐらい洗ってこよう。なんとなく小平太は思い、菓子箱を隅に置いて、井戸に向かった。なんだかとても胸のうちがもやもや、とする。胃が内側からしくしくとする。
気づいたら、午後の日差しが弱まっていた、こうなるともうあっという間、夜が訪れるだろう。

井戸で水を汲んで、バケツに手を突っ込んでザブザブと両手を揉み込むように洗いながらも残像みたいに亀子の柔らかそうなすべすべしてそうな綺麗な両の手が目に浮かぶ。自分の手と比較するように。

「落ちない、なあ」
指先の爪にはさまった泥みたいなのが固まってて、とくに落ちない。そういや爪の手入れなんかしたことない。長くなければいいくらいにしか考えていなかった。ジャブジャブとこすってもこすっても落ちない、おちない。

気づけばだいぶ長く格闘していていつのまにやら夜の気配だ
まあいい、と、バケツの水を一度入れ替えて、また同じように手を洗う。そこに人の気配、慣れ親しんでやまない大好きな彼の気配がした。

「洗濯か」
後ろを振り向く前に横から長次が、顔を覗かせる。1日しか経ってないのにとても懐かしく感じて、小平太は表情がだらしなく崩れるのを我慢できなかった。
「長次、いつ帰ったの」
「ついさっき」
「亀子ちゃんに会った?」

おかえり、でも
会いたかった、
でもなくまず出た自分の言葉に、小平太自身が吃驚した。

長次は首を傾げる。何故ここで亀子の名が出るのだ、といった思惑であろう。

亀子ちゃん来てたんだよさっき。ああもしかしたらまだいるかも知れない
長次に会いたがっていた。探しに行ったらどうだろうか?

長次の返事も待たずに小平太の口からはするすると次から次に言葉が出た。視線の先は水に泳ぐ自分の両の手。ちっとも汚れが落ちやしないんだから。
「部屋には行ったか、亀子ちゃんがくれたお菓子があるよ。上等な生菓子だってさ」
「部屋にはまだ」
「そうか、じゃあ言わなければ良かった、私ひとりで亀子ちゃんのお菓子を独り占めできたなあ」

「俺は、」

長次の声音が上がり、小平太はピクリと体中の動きが静止する。視線の先だけは変えない。

「俺は、真っ先に」
お前に、と言った所で長次の手が伸びて、柔らかい小平太の髪を梳くようになぜた。


「会いたかったんだ」





慎重に、慈しむように撫でるその動作が愛おしくて、小平太は目をギュウッと瞑った。
勝手な劣等感だ。知ってはいたんだ。

けれど矢張り時折思わずにはいられないんだ。私はあんな綺麗な両の手じゃない
あんなに綺麗であったかく柔らかくすべすべな、女にゃなれないんだって、事

バケツの中で漂う手の先爪に詰まった汚れのようにいまの自分は卑しいとるにたらないものだ。夕闇が己の表情を隠してくれてホントに、良かった。











【爪】








それでも愛せずにはいられない。卑しい己の全てを知る者はきっと世界探しても彼ひとりしかいやしないのだから


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